クリニックの窓から


ここでは、日頃の診療で感じた事や、社会に対して発信したい事を、結構自由に書かせてもらっています。個人的な感想ですので、聞き流していただければ、幸いです。

2019年2月3日

 

<ストレスによる精神疾患予防に関して>

①ストレスを管理すること(対処すること)

②健康的な習慣を身につけること

 

対処の方法

・思考の修正     ・考え込むことをやめる(身体を動かす)

・健康的な習慣を増やす

・体重コントロール(食習慣を変える、運動を実行する)

・リラクゼーションエクササイズ

・拠り所にできるリソース:

     家族、友人、支援者、仕事、趣味、目標、自分を必要としている人など

・自分の対処リソース(自分の持っている力):

     体の強さ、時間管理が得意、仕事や子供の世話ができる、不屈さ、負けず嫌い

     根気強さ、忍耐力、ユーモア、信仰心、知性、人への優しさ

     自分の特徴を思い出そう、欠点は長所であり、長所は欠点になりうる。

・人間関係のリソース

・治療リソース(治療者、医療場面での支援者、薬など)

 

 

2016年  8月  2

 

<ストレスマネジメント>

 

人は生きていく限り、ストレスとは無縁でいられません。ただ、最初に言っておきますが、ストレスは、悪者ではありません。人が、生き生きとして充実した生活を送るためには、なくてはならないものなのです。ストレスがあるから、生き甲斐のある人生があるのだし、喜びが生じるのです。ストレスが悪者扱いされやすいのは、それが、個人の対処できる範囲を超えてしまい、重荷や自分を苦しめるものとして体験される場合があるからです。そういう場合、ストレスは、病気を引き起こしてしまいます。ストレスが対処できる範囲を超えた時、下記のような不適応状態が訪れます。

 

過度のストレスに対する個人の反応

        心理的反応(認知、情動など)

                つらい、憂うつ、やる気が出ない、いらいらする、

                神経質になる、パニックを起こしやすい、怒りっぽい

 

        行動的反応(逃避、回避反応、ゆとりのなさなど)

                人に会いたくない、閉じこもりがちになる、下を向く、

                不安なものを避ける、短気になる

 

        身体的反応(自律神経、ホルモン系等の変化)

                めまい、動悸、筋肉の緊張、血圧の上昇、睡眠障害、

                食欲低下、頭痛、胃痛、下痢、便秘、腰痛、肩凝り

                微熱、寝汗、長く続く原因不明の体調不良

 

反応の仕方は、個人ごとに異なる

                ・生物遺伝的因子が生理的な反応パターンを規定する

                ・性格、過去の経験なども関与する

ストレス状況が続くと、うつ状態、不安緊張状態、身体的愁訴などが出現する。

 

ストレスの過剰は、もちろん、たくさんのものを抱え過ぎているという量的な場合もありますが、対処の仕方や考え方によっても差があります。対処の仕方や考え方は、決して、変える事のできないものではありません。あとからいくらでも獲得できる技能です。どのようにストレスを対処可能にしていくか、その技能獲得のヒントを提供しましょう。

 

1)リラクゼーション

基本的な所から始めましょう。リラクゼーションは、身体の状態をリラックスした状態に持っていく事で、心をリラックスさせる方法です。当然、人の心と身体はつながっているので、身体がリラックスすると心もリラックスしてくれます。なかなか心をゆったりさせるのは難しいので、身体から入ると案外うまくいくものです。自律訓練法や筋弛緩訓練と言われているものは、まさにこの原理を使った方法です。人間の身体には、交感神経と副交感神経の二つの自律神経が働いていますが、ストレスを抱えた状態では、主に交感神経が働きます。交感神経は、戦う際に使われる神経ですので、血圧を上げ、心拍数を増やし、筋肉を緊張させ、力を込めます。副交感神経は、反対にゆったりできる時に働く神経なので、筋肉を緩め、消化管の動きを良くし、四肢末端にまで血液を流すので、手足が温かくなります。交感神経の緊張が続くと、肩凝りや頭痛を引き起こしますし、動悸・血圧上昇・食欲不振・手足の冷感・不眠等の原因となります。あまりに長く交感神経の緊張が続くと一般的に自律神経失調と言われているような状態に陥ってしまいます。時々、身体をリラックスさせる事で、身体の働きが悪くなるのを予防しましょう。マッサージを受けたり、ゆっくりと湯船に使ったり、音楽やアロマも役に立つでしょう。

 

2)ストレス解消の手段を身につける

これも一般的に行われている方法ですね。人によって様々なストレス解消法があるでしょう。趣味への没頭・運動・ドライブ・旅行・買い物・カラオケ・おしゃべり・外出・食事・飲酒・喫煙・パチンコ・ゲーム・インターネット等様々なものがありますが、人によっては依存の危険性をはらんでいるので、注意が必要です。ストレスに対処するのではなく、ストレスからの逃避の手段として、これらのものを使う場合に問題となります。逃避の手段として使うと、新たな病的な状態を作り出してしまいます。アルコール依存、ギャンブル依存、買い物依存、薬物依存、過食症等。最近では、ネットショッピングにはまってしまう人も時々みられます。何かに頼りやすい人は、安易にこの手段を使わない方が良いと思います。依存症の治療も結構大変ですよ。自分も苦しいですが、周囲の人たちも苦しみます。

ストレス解消のためだからという事で、社会的な自分と極端に違う方法に耽溺する場合も病的な状態と言えます。反社会的な行為だったり、人に気付かれたら恥ずかしい行為、もしかしたら、今まで築いた社会的地位を脅かすかもしれないような行為等が当てはまります。

 

3)ストレスマネジメントの方法を学ぶ

ストレスマネジメントは、ストレスに対処していくための積極的な方法です。ストレスから逃避する事は、新たな問題を生んでしまうので、それから逃げるのではなく、向き合って関わる方法を学びましょう。余談ですが、不安障害も強迫性障害も不安に対処しようとせず、不安から逃げよう、不安を亡き者にしようとする心が悪化を招きます。ストレスも同じです。そこから逃げようとせず、それを何とかしてみようとする心が対処可能に導いてくれます。

「こんなにストレスがあって、困っている、何とかならないだろうか」と考えている段階ではストレスは困り者です。解決のために自分が動こうと考えた時点で、ストレスは対処可能となりえます。

次に、それを解決するための方法を考えます。人に動いてもらったり、変わってもらったりするのを期待するのではなく、自分ができる事は何かを考えるのです。できるだけ、多くの方法を考え、それぞれの解決策について、可能か、どのような結果が予想されるか、困難はどのくらいか、それは解決になるかなどを吟味します。そして、その中で、一番可能性の高い方法を選び、実行する際に必要な事柄を行っていきます。それを実行する際に、妨げる力となるのが、あとで出てきますが、認知の癖、スキーマと言われているものです。

 

4)ストレスに対する認知を変える (ストレスがストレスでなくなる?)

後に説明しますが、これこそ認知行動療法の課題です。人の気持ちや行動は、何が起こったかではなくて、そのできごとをどのように受け取ったかで決まります。夏休みの宿題を「まだ、半分も残っている、もう10日しかない」と思うか、「もう半分は終わった、後10日ある」と考えるかの違いです。前者だと焦りが強くなり、余計にプレッシャーを感じ、場合によっては、今更仕方ないと投げ出す事もありえます。後者だと、少しは落ち着いて、やれるかもしれないと考えて、臨む事ができるような気がしませんか?反対に、気を引き締めたい時には、「もう10日しかない」と自らを追い込む事で、緊張感を維持する事ができるものです。要するに、考える方法によって、ストレスをストレスでなくするように、自分の気持ちが働きやすいように変える事ができるという事です。自分の気持ちがどちらを向いているかも大切な要因のひとつです。自分の現在の力より上を目指す事が、自らの意志によるものかどうかは、動機付けの点で重要です。動機があると、越える事は喜びであり、動悸がないと苦痛でしかないでしょう。不安やストレスを避けようとすると、追ってきて、苦しみます。もし、逃げたり避けたりできない事であれば、積極的にそれに向かう動機付けをしていく事がストレス軽減に働きます。うまくいけば、そのストレスは、自分を高め、生き甲斐をますものになるでしょう。

また、臨まない結果や好まざる事態が起こった時に、みる方向を変えて考えてみる事も役に立ちます。物事には、必ず、いくつかの側面があります。一面からみると、嫌な事でも、他の側面(もしかしたら、上から、下から、斜めから?)からみると、それほど悪い事ではないかもしれません。

数年前に大きな台風がきて、しばらく停電が続きました。停電になると、とても困る事が多いのですが、その中にもいくつかは、利点を探し出す事ができます。電気のありがたさを知る機会になる、早く寝られて、疲れが取れる、星が綺麗に見える。参加者に尋ねたところ、「家事をしなくて済む」というのもありました。ひとつの明かりに集まって、家族がゆっくり話す機会になった、ロマンチックな雰囲気に包まれた・・・云々。まだ小さかった息子は、懐中電灯で、影絵をして遊んでいました。椅子に光を当てて、身体に移し、「ボディペインティングだ」と、喜んでいました。最近の子供は、影絵なんて、遊んでいませんよね、それを見た時、とても幸せな気持ちになりました。停電していなかったら、感じる事のなかった喜びでした。このように、物事の色々な面を見る事が自在にできるようになると、ストレスも形を変えるかもしれないという可能性が見えてきます。

 

2015年 3月30日

 

<不安について>

不安をなくそうと齷齪していませんか?不安であることに耐えられず、不安をなくそうと努力すればする程、不安は強くなっていくもののようです。しばらく、そのままにしておきましょう。不安と共存しましょう。

私たちは、行きている間、不安は付いて回ります。先のことを予見できず、回避できない以上、この先はどうなるのだろうかと思うのは、至極当たり前のことです。できたら、今後起こるかもしれない不安を伴うような出来事を起こらないようにしたいし、平和な生活を保障してほしい・・そういう気持ちが強くなりすぎると、それを脅かす可能性を必要以上に恐れてしまいます。冷静に考えたら、あまり起こりそうにないのに・・(もちろん可能性はゼロではない)そのことばかりが頭の中を占めてしまって、せっかく、幸せを享受できているはずの現在を台無しにしてしまうことになる・・・

不安に思っている自分自身を意識しましょう。「私はこういうことを怖がっているのだな」と理解しましょう。そして、対峙できて、何らかの対策をとることが可能であれば、対処方法を考えましょう。自分自身ができることがないのであれば、そのままにして、それ以上考え続けることを止めて祈りましょう。

 

 

2013年2月1日

 

暴力について

 

ここでいう暴力は肉体的暴力だけではなく、精神的な暴力も含めている。

暴力、虐待、いじめ、様々なレベルにおける有害な行為の事を示す。

 

 日常の診療で過去に暴力を受けたたくさんの人たちと出会う。親から、夫から、同胞から、クラスメートから、教師から、同僚から、親族から・・・そして、何年も何十年もたった後でもその影響は続いている。

 

 いつもおびえて、人の眼を気にして、人がどのように思うか、受け入れてもらえるだろうか・・・そういう事を他の人以上に考えながら生きてきていて、自分の行動が、他の人から否定されないだろうか、非難されるのではないか、気に入られるだろうか・・・などという事が一番重要なものになってしまう。そういう考え方を続けることで、自分の気持ち自体がわからなくなったり、自分をつまらない人間だと思ったり、価値がないと思ったり、人が必要だと言ってくれ、評価してくれる事を必要以上に求め続けるようになりがちである。

 

 そうなると、人生は常に苦しく、いつも希死念慮を抱え、不幸な気持ちで生活する事になる。苦しくなると、自分を傷つける事で安心する人たちもいる。PTSDはもちろんの事、鬱状態、パニック障害、社交不安障害など、様々な精神疾患の裏には、暴力を受けた影響が色濃く残っている人たちがたくさんいる。

 

 誰しも、人を傷つける可能性はあり、傷つけられる可能性がある。傷つけたと感じたら謝り、いたわり、自分を反省する・・・そして、傷つけられても、それを許す事ができるようになるためには、比較的安全な環境で、大切に育てられた経験がある事も重要である。強い恐怖を植え付けられた人は、自分が人を傷つけるほんのちょっとの可能性にもおびえ、全く自分の気持ちを表現できなくなってしまうのだ。


 暴力を受けた時に受ける影響は、小さい時程大きい。幼児虐待が重要なのは、まさしくこの点であり、人生を送っていく上で、長期にわたる重大な障壁になりうる。もちろん、小中学校での傷も、社会性に大きく影響する。

 

 常に考えている事だが、いじめを「他人の人権の侵害」という視点で捉える事が必要だと思う。もう25年も前になるが、娘がニューヨークの小学校に入学した事がある。その時、学校から配られた書類には、「あなたのこどもさんが持っている権利」としてたくさんの事が上げられていた。はっきりとは覚えていないが、「良い環境で安全に学ぶ権利」とか、「持ち物を安全に保つ権利」とかが記載されていたと思う。また、最初の授業は「 same & difference 」で、人にはいろいろな違いがあるから、それを尊重する事を学ぶ事から始まった。たくさんの民族、宗教、歴史など多くの違いを抱えた人たちの集まりだったからこそ、重視されたのだろうが、相手の権利を尊重する事を学ばせてもらったように感じる。『自分の権利を守ってもらう事は、それぞれが相手の権利を尊重する事から成り立つのだ』というごく当たり前の事、それが、今の日本に必要な事ではないだろうか?

 

 体罰を含めた指導を是認する生徒さんが話していた事を聞いて、「?」と思った事がある。「人間として一番大切なマナーを教えてくれている」という言葉だ。人に対して、大切な事は、表面的なマナーではなくて、相手を尊重する気持ちではないか。その気持ちは、一方的な暴力からは学ぶ事はできない。暴力を振るう人自体が、力や恐怖で、相手を支配しよう、自分に従わせようとしているからである。

 

 もう一つ言いたかったのは、「あなたたちは、殴られたりしないと、人の言う事を受け入れる事ができないのですか?」という疑問だ。学ぶためには、必ずしも力は必要ない。ただ、暴力を受け、それが当たり前と思って耐え抜いてきた彼らに取って、暴力を否定する事は、苦しさに耐えてきたそれまでの自分自身を否定する事になりかねない。それだけに、暴力の連鎖が良い事として、続く可能性が産まれるのだと思う。

 

 暴力は、それを受けた人を恐れさせ、「自分が悪いから、暴力をふるわれるのだ」と信じるようになってしまう。自分の気持ちを表出する事をできなくしてしまう。

 

 相手を尊重することは、相手の立場に立ち、相手の事を考える事にも通じる。これこそ、今の日本に必要な事だと感じている。

 

 余談だが、学習理論では、行動を変える(行動変容)には、罰よりも強化(報酬や暖かい言葉かけ、認めてもらう事など)の方が、遥かに有効な事が随分昔からわかっているという事を付け加えておきたい。